「電子社会と法令工学」
人工知能学会誌23巻4号所収。
法令を工学する、という発想がとてもおもしろい。
以前から、『ソフトウェア工学との類似性に着目した立法支援方法』等の角田篤泰先生による論文は読んでいたものの、他の記事で法令工学という発想をしているのを読んだのは初めて。
法令工学という発想について、総論的に論じているので見通しがよく、とてもおもしろかった。
論文や記事に限定しなければ例えば白田秀彰先生のホームページなんかでも指摘されてる。発想としてはほぼ同じようなところ。
ところで、法情報学の研究だと真っ先に法の論理的解析に関連する研究があげられる印象がある、というかJSAIで進められてる研究は当然そっちが中心になるだろうという気がするんだけど、どうにもこれが法学でうまくいくのか疑問。
そもそも法は厳密に理解することができるものなのか、という議論に関しては法の客観性に関する議論やらで既に疑問視されてきたことだと思うし、何より曖昧であることに意味があるのではないか、という気がする。「どこまでかが厳密に理解できる」と前提してしまうのは、司法権の範囲を限定してしまうものであり、それ故に法学からは拒絶されてしまうのではないか。
あるいは、司法権が厳密に理解してはいない、という現実を発掘してしまえば、その判断を立法権に帰責することで中立性を演出している司法権を欺瞞であると告発することになってしまうのではないか。
このへんがちょっとよくわからない。
だから、僕には法の解析とかではなく、法令を記号論の目で見る、という視点のほうが有望なのではないかと感じられる。例えば最近の法令では第一条に目的規定を、第二条に定義規定を記述するようになっているが、これらは別に第一条・第二条に書く論理的な理由はないはずである(∵法令の各条は論理的には等価)。それを「一条にはこれを書く」という慣習を持たせることで法令の可読性を上げようとしているのだと考えられる。加えて言えば、目的規定を書かなかったり、定義規定を各用語の出現箇所で逐一定義しても良いはずである(ex. 以下○○という、のような記述を初出箇所に紛れ込ませる)。こういった議論について、プログラミング作法なんかのソフトウェア工学的議論を応用して研究したほうがよほど面白いのではないか、という気がする。
そういう意味で、「法令工学」というのはとても面白い発想だと思う。
法令を工学する、という発想がとてもおもしろい。
以前から、『ソフトウェア工学との類似性に着目した立法支援方法』等の角田篤泰先生による論文は読んでいたものの、他の記事で法令工学という発想をしているのを読んだのは初めて。
法令工学という発想について、総論的に論じているので見通しがよく、とてもおもしろかった。
論文や記事に限定しなければ例えば白田秀彰先生のホームページなんかでも指摘されてる。発想としてはほぼ同じようなところ。
ところで、法情報学の研究だと真っ先に法の論理的解析に関連する研究があげられる印象がある、というかJSAIで進められてる研究は当然そっちが中心になるだろうという気がするんだけど、どうにもこれが法学でうまくいくのか疑問。
そもそも法は厳密に理解することができるものなのか、という議論に関しては法の客観性に関する議論やらで既に疑問視されてきたことだと思うし、何より曖昧であることに意味があるのではないか、という気がする。「どこまでかが厳密に理解できる」と前提してしまうのは、司法権の範囲を限定してしまうものであり、それ故に法学からは拒絶されてしまうのではないか。
あるいは、司法権が厳密に理解してはいない、という現実を発掘してしまえば、その判断を立法権に帰責することで中立性を演出している司法権を欺瞞であると告発することになってしまうのではないか。
このへんがちょっとよくわからない。
だから、僕には法の解析とかではなく、法令を記号論の目で見る、という視点のほうが有望なのではないかと感じられる。例えば最近の法令では第一条に目的規定を、第二条に定義規定を記述するようになっているが、これらは別に第一条・第二条に書く論理的な理由はないはずである(∵法令の各条は論理的には等価)。それを「一条にはこれを書く」という慣習を持たせることで法令の可読性を上げようとしているのだと考えられる。加えて言えば、目的規定を書かなかったり、定義規定を各用語の出現箇所で逐一定義しても良いはずである(ex. 以下○○という、のような記述を初出箇所に紛れ込ませる)。こういった議論について、プログラミング作法なんかのソフトウェア工学的議論を応用して研究したほうがよほど面白いのではないか、という気がする。
そういう意味で、「法令工学」というのはとても面白い発想だと思う。
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